たいころじい記事その1
放生祭の大太鼓は、和太鼓の愛好家や研究者などからも注目されているようである。
財団法人浅野太鼓文化研究所が発行している太鼓と人間の情報誌『たいころじい』に、放生祭についての記事が掲載されているので紹介しておこう。
なお、『たいころじい』の購入や問い合わせについては下記へ。
http://www.asano.jp/books/index.html
2005年12月発行の第28巻には、「太鼓の衆見聞録」という、おもに和太鼓のコンサートなどを紹介する記事の中でとりあげられている。
放生祭(ほうぜまつり)
9月17・18日
福井県小浜市
小浜市八幡神社の祭礼である放生祭は、若狭地方最大の秋祭りだ。およそ三百年の歴史があるといわれ、古くは殺生を戒め、捕らえた魚や鳥を山海に放す『放生会(ほうじょうえ)』の儀式に起因している。祭りは江戸時代に小浜城下の町人町の範囲にあった二十四区によって行われ、一年交代で十二区ずつが、山車(やま)、神輿、獅子舞、大太鼓、神楽の五種類の演(だ)し物を担当する。今年は、山車が四台、三匹獅子舞が二組、大太鼓が三台、神楽屋台三台、神輿一基が、二日間にわたって初秋の市街地を巡行した。
祭りはまず、一日目の午前九時、住吉区の大太鼓の宮入から始まる。これは明治維新までこれらの演し物が奉納されていた天王社(現在の広嶺神社)の祇園祭礼の練物行列において「傘鉾は第一番にこれを捧ぐ」(『若狭郡県志』より)と記されていることによるもので、演し物が祇園祭礼から放生祭に移って以後も、二十四区の中で唯一傘鉾を有する住吉区が今も最初に宮入することになっているという。続いて各地区の神楽や獅子舞などが順次宮入を済ませると、それぞれに巡行を開始する。といっても巡行のコースは地区ごとに独自に決めるため、十二の演し物がバラバラに市内を巡ることになる。南から神楽囃子が聞こえたかと思うと北から山車囃子、辻を曲がれば獅子舞という具合で、次は何に出会えるかと胸をわくわくさせながら町並みをそぞろ歩くのも心楽しい。中でも、もっとも見応え、聴き応えのあるのが大太鼓の一行だ。
口径三尺ほどの大太鼓を曳台に載せて、編笠と覆面で顔を隠した十人前後の打ち手が代わる代わるばちを振るう大太鼓は、放生祭の花形だ。ゆっくりしたテンポの『道引(みちびき)』、急テンポで力強い『攻め太鼓』、“踊り打ち”と称されるほどに躍動感のある『曲打ち』などが、鉦の囃子にのせてえんえんと打ち継がれる。威勢のよい中にもどこか雅さがただよう住吉区の太鼓、革が焼けるかと思うほどに激しく打ち込む大宮区の太鼓という具合に、地区によって曲調が異なるのも面白く、太鼓好きにはたまらない。
市内各所を個別に巡行した大太鼓は、一日目の夜に八幡神社前で、二日目の午後に市中のお旅所で、三台そろっての大共演を繰り広げる。どの地区も「我こそは」とばかりにばちさばきを披露しあう共演は、“喧嘩”ともよばれるごとくに熱を帯び、いつ果てるとも知れぬ打ち合いが、曳台を囲んだ観客の心をも熱く燃やす。これらの大太鼓は、唐風(からふう)の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振によって先導されるが、棒術を下敷きにした露払いの妙技もまた凛々しく趣深い。江戸時代、藩や藩士らの助力をうけて形が整えられ、時代とともに洗練されてきた放生祭の演し物は、今も若狭の人々の血をふつふつとたぎらせ、豊穣の秋へと導いていくのだ。(小野)
財団法人浅野太鼓文化研究所が発行している太鼓と人間の情報誌『たいころじい』に、放生祭についての記事が掲載されているので紹介しておこう。
なお、『たいころじい』の購入や問い合わせについては下記へ。
http://www.asano.jp/books/index.html
2005年12月発行の第28巻には、「太鼓の衆見聞録」という、おもに和太鼓のコンサートなどを紹介する記事の中でとりあげられている。
放生祭(ほうぜまつり)
9月17・18日
福井県小浜市
小浜市八幡神社の祭礼である放生祭は、若狭地方最大の秋祭りだ。およそ三百年の歴史があるといわれ、古くは殺生を戒め、捕らえた魚や鳥を山海に放す『放生会(ほうじょうえ)』の儀式に起因している。祭りは江戸時代に小浜城下の町人町の範囲にあった二十四区によって行われ、一年交代で十二区ずつが、山車(やま)、神輿、獅子舞、大太鼓、神楽の五種類の演(だ)し物を担当する。今年は、山車が四台、三匹獅子舞が二組、大太鼓が三台、神楽屋台三台、神輿一基が、二日間にわたって初秋の市街地を巡行した。
祭りはまず、一日目の午前九時、住吉区の大太鼓の宮入から始まる。これは明治維新までこれらの演し物が奉納されていた天王社(現在の広嶺神社)の祇園祭礼の練物行列において「傘鉾は第一番にこれを捧ぐ」(『若狭郡県志』より)と記されていることによるもので、演し物が祇園祭礼から放生祭に移って以後も、二十四区の中で唯一傘鉾を有する住吉区が今も最初に宮入することになっているという。続いて各地区の神楽や獅子舞などが順次宮入を済ませると、それぞれに巡行を開始する。といっても巡行のコースは地区ごとに独自に決めるため、十二の演し物がバラバラに市内を巡ることになる。南から神楽囃子が聞こえたかと思うと北から山車囃子、辻を曲がれば獅子舞という具合で、次は何に出会えるかと胸をわくわくさせながら町並みをそぞろ歩くのも心楽しい。中でも、もっとも見応え、聴き応えのあるのが大太鼓の一行だ。
口径三尺ほどの大太鼓を曳台に載せて、編笠と覆面で顔を隠した十人前後の打ち手が代わる代わるばちを振るう大太鼓は、放生祭の花形だ。ゆっくりしたテンポの『道引(みちびき)』、急テンポで力強い『攻め太鼓』、“踊り打ち”と称されるほどに躍動感のある『曲打ち』などが、鉦の囃子にのせてえんえんと打ち継がれる。威勢のよい中にもどこか雅さがただよう住吉区の太鼓、革が焼けるかと思うほどに激しく打ち込む大宮区の太鼓という具合に、地区によって曲調が異なるのも面白く、太鼓好きにはたまらない。
市内各所を個別に巡行した大太鼓は、一日目の夜に八幡神社前で、二日目の午後に市中のお旅所で、三台そろっての大共演を繰り広げる。どの地区も「我こそは」とばかりにばちさばきを披露しあう共演は、“喧嘩”ともよばれるごとくに熱を帯び、いつ果てるとも知れぬ打ち合いが、曳台を囲んだ観客の心をも熱く燃やす。これらの大太鼓は、唐風(からふう)の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振によって先導されるが、棒術を下敷きにした露払いの妙技もまた凛々しく趣深い。江戸時代、藩や藩士らの助力をうけて形が整えられ、時代とともに洗練されてきた放生祭の演し物は、今も若狭の人々の血をふつふつとたぎらせ、豊穣の秋へと導いていくのだ。(小野)


