2006放生祭の写真レポート掲載のHP
http://www.geocities.jp/kuzuwaka/obama060917.html
「お祭りの部屋」という個人のホームページで、全国各地の祭りを豊富な写真で紹介していて、祭り好きの方にはおすすめ。
放生祭については、平成18年(2006)9月17日の放生祭の様子が、たくさんの写真にお囃子の音声を加えて紹介されている。
「お祭りの部屋」という個人のホームページで、全国各地の祭りを豊富な写真で紹介していて、祭り好きの方にはおすすめ。
放生祭については、平成18年(2006)9月17日の放生祭の様子が、たくさんの写真にお囃子の音声を加えて紹介されている。
2007ポスター
日本の祭り文化事典
星野紘・芳賀日出男監修、社団法人全日本郷土芸能協会編集、東京書籍株式会社発行の『日本の祭り文化事典』(平成18年7月13日 第1刷発行)に収録されている放生祭の記事を紹介しておく。
小浜放生祭 おばまほうぜまつり
県指定
小浜市小浜男山(おばまおとこやま)・八幡(はちまん)神社
九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日
小浜放生祭は、県の南西部、小浜市小浜男山に鎮座する八幡神社の例祭で、九月一四・一五日に行われてきたが、現在は九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日に行われている。この両日、大太鼓(棒振(ぼうふり)大太鼓)・獅子(しし)(三匹獅子舞)・神楽(かぐら)(神楽太鼓)・山車(やま)・神輿(みこし)といった多彩な出し物が氏子(うじこ)範囲である小浜の旧市街地をめぐる。笛や太鼓の音があちこちから聞こえ、町は祭り一色に彩られる。出し物は、もともと江戸時代に城下町全体の祭礼として行われていた天王(てんのう)社(現広嶺(ひろみね)神社)の祇園(ぎおん)祭礼に出ていたものであるが、明治維新による氏子の区域割の改編などによって、八幡神社の例祭に出ることとなり現在に至っている。
棒振大太鼓は、大太鼓と鉦(かね)による大音響の囃子(はやし)に合わせて、二人または三人一組の棒振がアクロバティックな動きや素早い立ち回りによる迫力のある演技を披露する。三匹獅子舞は、老若二匹の雄獅子(おじし)と一匹の雌(め)獅子が、笛と歌に合わせて、腹に付けた太鼓を打ちながら舞う。神楽太鼓は、獅子頭(ししがしら)の載った太(だい)神楽風の屋台(やたい)に取り付けた大小の太鼓と笛による囃子を聞かせる。山車は舞台型の一台をのぞく八台はすべて二層屋根付き四輪の曳山(ひきやま)である。豪華な見送幕や塗り・金具・彫刻などで飾られているが、その最大の見どころ(聞きどころ)は、二十数曲にもおよぶバラエティーに富んだ美しい音色の囃子である。各出し物は、それぞれ独自に巡行コースを決め、二日間にわたり町中を練り動いて芸や囃子を披露するが、一四日の夜などには、同種の出し物が集結しての競演も行われる。
参考文献 福井県立若狭歴史民俗資料館編『おまつり おはやし おどり―若狭の祭礼・山車・風流―』(平10、同資料館)。 指定 平成一四・四・二三県指定。 保護 小浜放生祭祭礼委員会。 問い合せ先 若狭おばま観光協会。 交通 JR小浜線小浜駅下車。北陸自動車道敦賀(つるが)IC、舞鶴若狭自動車道小浜西IC、国道二七号線。
小浜放生祭 おばまほうぜまつり
県指定
小浜市小浜男山(おばまおとこやま)・八幡(はちまん)神社
九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日
小浜放生祭は、県の南西部、小浜市小浜男山に鎮座する八幡神社の例祭で、九月一四・一五日に行われてきたが、現在は九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日に行われている。この両日、大太鼓(棒振(ぼうふり)大太鼓)・獅子(しし)(三匹獅子舞)・神楽(かぐら)(神楽太鼓)・山車(やま)・神輿(みこし)といった多彩な出し物が氏子(うじこ)範囲である小浜の旧市街地をめぐる。笛や太鼓の音があちこちから聞こえ、町は祭り一色に彩られる。出し物は、もともと江戸時代に城下町全体の祭礼として行われていた天王(てんのう)社(現広嶺(ひろみね)神社)の祇園(ぎおん)祭礼に出ていたものであるが、明治維新による氏子の区域割の改編などによって、八幡神社の例祭に出ることとなり現在に至っている。
棒振大太鼓は、大太鼓と鉦(かね)による大音響の囃子(はやし)に合わせて、二人または三人一組の棒振がアクロバティックな動きや素早い立ち回りによる迫力のある演技を披露する。三匹獅子舞は、老若二匹の雄獅子(おじし)と一匹の雌(め)獅子が、笛と歌に合わせて、腹に付けた太鼓を打ちながら舞う。神楽太鼓は、獅子頭(ししがしら)の載った太(だい)神楽風の屋台(やたい)に取り付けた大小の太鼓と笛による囃子を聞かせる。山車は舞台型の一台をのぞく八台はすべて二層屋根付き四輪の曳山(ひきやま)である。豪華な見送幕や塗り・金具・彫刻などで飾られているが、その最大の見どころ(聞きどころ)は、二十数曲にもおよぶバラエティーに富んだ美しい音色の囃子である。各出し物は、それぞれ独自に巡行コースを決め、二日間にわたり町中を練り動いて芸や囃子を披露するが、一四日の夜などには、同種の出し物が集結しての競演も行われる。
参考文献 福井県立若狭歴史民俗資料館編『おまつり おはやし おどり―若狭の祭礼・山車・風流―』(平10、同資料館)。 指定 平成一四・四・二三県指定。 保護 小浜放生祭祭礼委員会。 問い合せ先 若狭おばま観光協会。 交通 JR小浜線小浜駅下車。北陸自動車道敦賀(つるが)IC、舞鶴若狭自動車道小浜西IC、国道二七号線。
『山・鉾・屋台の祭り ―風流の開花―』
山・鉾・屋台の祭り(いわゆる山車祭り)の研究者にとってのバイブルと言われている、植木行宣著『山・鉾・屋台の祭り ―風流の開花―』(白水社 2001年11月刊)の第二編「山・鉾・屋台の伝承」第三章「山と屋台の祭り」の中で、放生祭が紹介されている。
七 小浜八幡神社の放生会
福井県小浜市男山に鎮座する八幡神社では、毎年九月十四、五日に行われ、山車(やま)や大太鼓、獅子などの出し物が小浜の旧市街を巡り、町は祭り一色となる。
出し物は氏子二四区(町内)の分担で、次のように一二区ずつ隔年交替で出すことになっている。
(西暦奇数年) (同偶数年)
大太鼓 住吉、広峯、大宮区 鈴鹿、大原区
神楽 津島、神田、白鳥区 白鬚、鹿島区
獅子 玉前、日吉区 多賀、男山区
山車 清滝、今宮、竜田、飛鳥区 生玉、塩竃、酒井、貴船、浅間区
大太鼓は鉦と鋲打ちの太鼓の囃子で唐子風の衣裳を着た青年が二人一組、あるいは三人一組で棒の芸を見せる棒振である、大太鼓の曲打ちも加わる。風流系の露払いの棒振から展開したものと考えられるもので、「棒振太鼓」ともよばれている。
神楽は伊勢太神楽の荷長持に似た神楽屋台に大小の太鼓を載せ、徒歩の笛とで奏する囃子である。屋台に獅子頭が乗るが、獅子舞はともなわない。現在は、前屋台という小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ据えた小形の屋台が附属していて、神前や各区の本陣、あるいは花を貰った家などで演奏する際は、この前屋台に青年や子供の太鼓打ちが乗り桴さばきを披露する。
獅子はいわゆる三匹獅子舞で、老若二頭の雄獅子と雌獅子が腰鼓を打ちつつ笛と歌に合わせて踊る。寛永十一年(一六三四)に国替えで小浜に移った酒井忠勝が武蔵川越から伝えたものである。
山車はいま九台ある。飛鳥区のそれだけが芸屋台で、その他はすべて囃子屋台となっている。芸屋台は単層吹抜屋形四輪式で、前部の舞台で子供の手踊りなどを演じる。それに対し、囃子屋台は二層吹抜屋形四輪式の曳山の形態で、一層前部に「出囃子」という張り出しの小舞台が付く。その小舞台に小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ、太鼓打ちが出て出囃子を見せるところに特色がある。その後方の御簾の中が太鼓方、二層が笛方の座で大勢が乗り込んで囃す。囃子には道行囃子と奉納囃子があり、神社や本陣、花を貰った家などに山車を停めて奉納囃子を演奏する。出囃子の出番はこの奉納囃子であり、道行囃子には大太鼓が打たれる。
これらの出し物の本来の舞台は天王社(現・広嶺神社)の祇園会であった。それが明治維新の結果、明治四年(一八七一)に祇園会から離れ八幡神社の放生会に移行し、現在に至ったものである。
江戸時代の祇園会は神輿の神幸、還御にさまざまな出し物が随う華やかな練物の祭りであった。現在の出し物はそれに系譜するものだが、山車の形態も一様ではなく、人形山のほか囃子屋台、踊り屋台などがあった。その様相の一端は広嶺神社所蔵の「小浜祇園祭礼絵巻」(口絵写真参照)に描き留められており、行列の記録も多くはないが残されている。詳細は垣東敏博氏の論考に任せたいが※、江戸初期延宝七年(一六七九)における祇園会練物を一覧しておく(『拾椎雑話』)。なお、←○○は寛文十一年(一六七一)の出し物、→は他町と組、×は未出、無印は継続、である。
1 笠鉾 上小路・裏町
2 花筏 安良町×
3 花車 新突抜←汐汲
4 両替 突抜町・下市場
5 呉服売 永三小路→
6 布袋山 質屋町←布袋
7 鉄砲持 塩屋町←鉄砲
8 弓持 魚屋町
9 長刀山 大津町←長刀
10 富樫 川縁町
11 進上山 富沢町←(瀬木町)
12 餌差 広小路・東宮前
13 鷹匠 今町←鷹師(永三小路)
14 長刀持 上市場←長刀
15 巻狩山 塩浜小路・大蔵小路←聖
16 洲浜 中西町←順礼
17 参宮 西五町(山岸・甲呂木・浜浦・清水・文珠)←西七町
18 餅搗山 材木町・今在家←餅搗
19 夷大黒 西宮前・八幡小路
20 鯛釣 片原町
21 大黒山 瀬木町→・新町
22 能因法師 今道町
23 愛宕参 八百屋町
24 木賊山 須崎町・川崎町←木賊
25 花園 風呂小路←虚無僧
26 小刀売 缺脇町
27 鎧武者 瀧町・石垣町
28 孟宗山 松寺小路←孟宗
29 田植 二鳥居
30 鵜遣 石屋小路・達磨小路・薬師小路
全三〇番のうち、山は八台、その他はすべて仮装行列等の通り物であり、通り物は他所の練物の趣向と相通じるものが多い。この練物のあり方は江戸後期まで変わらず、文化末ころの「若耶一國亀鑑」によれば、全四四カ町四二番の出し物のうち、山は九台に止まっている。ただし、布袋・大黒山以外は別の山になっている。その山がすべて囃子屋台に変化しているわけだが、往時の人形等を本陣飾りとして伝える区もある。今宮区の行者人形(行者山)と尉と姥の面(高砂山)、玉前区の大黒人形(大黒山)、生玉区の蛭子人形(蛭子山)、酒井区の布袋面(布袋山)がそれである。
※垣東敏博「若狭小浜の祭礼と山車の変遷 ―練物・人形山・囃子屋台―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)。
七 小浜八幡神社の放生会
福井県小浜市男山に鎮座する八幡神社では、毎年九月十四、五日に行われ、山車(やま)や大太鼓、獅子などの出し物が小浜の旧市街を巡り、町は祭り一色となる。
出し物は氏子二四区(町内)の分担で、次のように一二区ずつ隔年交替で出すことになっている。
(西暦奇数年) (同偶数年)
大太鼓 住吉、広峯、大宮区 鈴鹿、大原区
神楽 津島、神田、白鳥区 白鬚、鹿島区
獅子 玉前、日吉区 多賀、男山区
山車 清滝、今宮、竜田、飛鳥区 生玉、塩竃、酒井、貴船、浅間区
大太鼓は鉦と鋲打ちの太鼓の囃子で唐子風の衣裳を着た青年が二人一組、あるいは三人一組で棒の芸を見せる棒振である、大太鼓の曲打ちも加わる。風流系の露払いの棒振から展開したものと考えられるもので、「棒振太鼓」ともよばれている。
神楽は伊勢太神楽の荷長持に似た神楽屋台に大小の太鼓を載せ、徒歩の笛とで奏する囃子である。屋台に獅子頭が乗るが、獅子舞はともなわない。現在は、前屋台という小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ据えた小形の屋台が附属していて、神前や各区の本陣、あるいは花を貰った家などで演奏する際は、この前屋台に青年や子供の太鼓打ちが乗り桴さばきを披露する。
獅子はいわゆる三匹獅子舞で、老若二頭の雄獅子と雌獅子が腰鼓を打ちつつ笛と歌に合わせて踊る。寛永十一年(一六三四)に国替えで小浜に移った酒井忠勝が武蔵川越から伝えたものである。
山車はいま九台ある。飛鳥区のそれだけが芸屋台で、その他はすべて囃子屋台となっている。芸屋台は単層吹抜屋形四輪式で、前部の舞台で子供の手踊りなどを演じる。それに対し、囃子屋台は二層吹抜屋形四輪式の曳山の形態で、一層前部に「出囃子」という張り出しの小舞台が付く。その小舞台に小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ、太鼓打ちが出て出囃子を見せるところに特色がある。その後方の御簾の中が太鼓方、二層が笛方の座で大勢が乗り込んで囃す。囃子には道行囃子と奉納囃子があり、神社や本陣、花を貰った家などに山車を停めて奉納囃子を演奏する。出囃子の出番はこの奉納囃子であり、道行囃子には大太鼓が打たれる。
これらの出し物の本来の舞台は天王社(現・広嶺神社)の祇園会であった。それが明治維新の結果、明治四年(一八七一)に祇園会から離れ八幡神社の放生会に移行し、現在に至ったものである。
江戸時代の祇園会は神輿の神幸、還御にさまざまな出し物が随う華やかな練物の祭りであった。現在の出し物はそれに系譜するものだが、山車の形態も一様ではなく、人形山のほか囃子屋台、踊り屋台などがあった。その様相の一端は広嶺神社所蔵の「小浜祇園祭礼絵巻」(口絵写真参照)に描き留められており、行列の記録も多くはないが残されている。詳細は垣東敏博氏の論考に任せたいが※、江戸初期延宝七年(一六七九)における祇園会練物を一覧しておく(『拾椎雑話』)。なお、←○○は寛文十一年(一六七一)の出し物、→は他町と組、×は未出、無印は継続、である。
1 笠鉾 上小路・裏町
2 花筏 安良町×
3 花車 新突抜←汐汲
4 両替 突抜町・下市場
5 呉服売 永三小路→
6 布袋山 質屋町←布袋
7 鉄砲持 塩屋町←鉄砲
8 弓持 魚屋町
9 長刀山 大津町←長刀
10 富樫 川縁町
11 進上山 富沢町←(瀬木町)
12 餌差 広小路・東宮前
13 鷹匠 今町←鷹師(永三小路)
14 長刀持 上市場←長刀
15 巻狩山 塩浜小路・大蔵小路←聖
16 洲浜 中西町←順礼
17 参宮 西五町(山岸・甲呂木・浜浦・清水・文珠)←西七町
18 餅搗山 材木町・今在家←餅搗
19 夷大黒 西宮前・八幡小路
20 鯛釣 片原町
21 大黒山 瀬木町→・新町
22 能因法師 今道町
23 愛宕参 八百屋町
24 木賊山 須崎町・川崎町←木賊
25 花園 風呂小路←虚無僧
26 小刀売 缺脇町
27 鎧武者 瀧町・石垣町
28 孟宗山 松寺小路←孟宗
29 田植 二鳥居
30 鵜遣 石屋小路・達磨小路・薬師小路
全三〇番のうち、山は八台、その他はすべて仮装行列等の通り物であり、通り物は他所の練物の趣向と相通じるものが多い。この練物のあり方は江戸後期まで変わらず、文化末ころの「若耶一國亀鑑」によれば、全四四カ町四二番の出し物のうち、山は九台に止まっている。ただし、布袋・大黒山以外は別の山になっている。その山がすべて囃子屋台に変化しているわけだが、往時の人形等を本陣飾りとして伝える区もある。今宮区の行者人形(行者山)と尉と姥の面(高砂山)、玉前区の大黒人形(大黒山)、生玉区の蛭子人形(蛭子山)、酒井区の布袋面(布袋山)がそれである。
※垣東敏博「若狭小浜の祭礼と山車の変遷 ―練物・人形山・囃子屋台―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)。
パンフレット・ダウンロード
カラー写真が豊富でデザインも美しい放生祭のパンフレットが、パンフnaviのホームページからダウンロードできる。
http://www.pamph-navi.jp/main.php?action=pdf&area=a006k032180502&fix=5374
パンフレットデータは次のとおり
「若狭おばま放生祭」
山車・大太鼓・神楽・獅子・御輿5種類の演し物が練り歩く
●お知らせ
●掲載者: 若狭おばま観光協会
●登録エリア: 北陸エリア>福井県>嶺南>小浜市
●パンフNaviCheck!!
福井県小浜市で開催される「若狭おばま放生祭」の案内パンフレット。祭りで練り歩く大太鼓、御輿、神楽、山車、獅子の様子を各地区ごとに写真と記事で紹介している。若狭おばま放生祭や大太鼓、御輿、神楽、山車、獅子などそれぞれの解説文も掲載している。出し物が宮入するエリアのイラストマップやアクセス情報もあり。
●パンフレット発行年月日:
http://www.pamph-navi.jp/main.php?action=pdf&area=a006k032180502&fix=5374
パンフレットデータは次のとおり
「若狭おばま放生祭」
山車・大太鼓・神楽・獅子・御輿5種類の演し物が練り歩く
●お知らせ
●掲載者: 若狭おばま観光協会
●登録エリア: 北陸エリア>福井県>嶺南>小浜市
●パンフNaviCheck!!
福井県小浜市で開催される「若狭おばま放生祭」の案内パンフレット。祭りで練り歩く大太鼓、御輿、神楽、山車、獅子の様子を各地区ごとに写真と記事で紹介している。若狭おばま放生祭や大太鼓、御輿、神楽、山車、獅子などそれぞれの解説文も掲載している。出し物が宮入するエリアのイラストマップやアクセス情報もあり。
●パンフレット発行年月日:
たいころじい記事その2
2007年1月発行の第30巻には、「特集 ばちコレクション」の一例として、放生祭の大太鼓が紹介されている。
辻辻での太鼓の打ち合いが見ものの『放生祭』(福井県小浜市)
若狭地方最大の秋祭りといわれる、小浜市八幡神社の例祭『放生祭(ほうぜまつり)』。江戸時代まで広嶺神社で行われていた祇園祭礼の演し物をとり入れた祭りには、神輿、山車(やま)、神楽、獅子舞、大太鼓が繰り出し、二日間にわたって辻辻を巡行する。唐風の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振りを先導役とする太鼓は三台。口径は三尺ほどで、編み笠と覆面で顔を覆った打ち手十人前後が、曳台に横置きに据えた太鼓を代わる代わる打ち囃す。
―〈写真〉3台の太鼓は別々のルートで市内を巡行する。―
ばちは「バイ」とよばれ、所有する五つの地区でそれぞれ素材と形状が異なる。たとえば大宮区ではホオノキを使い、全長は三二センチ。くびれの部分から先端までが放射線状に太くなっており、ふくらんだ根本を手のひらで包み込むようにして親指と人差し指でくびれの部分をしっかりつかむ。こうして持つことで大きく腕を回し、手首のスナップをきかせながら力強く打つことができる。
―〈写真〉大宮区のホオノキのバイ。グリップエンドのふくらんだ部分を手のひらで包んで打つ。―
一方、住吉区ではヒノキのバイを使う。同地区は江戸時代の祇園祭にも出ており、三百年以上の歴史をもつ。当時、太鼓は担いで巡行したことから胴は軽いキリ胴で、そのころにはバイもキリ製が使われていた。やがて太鼓がケヤキ胴になるとキリのバイでは鳴らなくなり、ヒノキのバイに変わり、今ではわずかだがホオノキのバイも使われるようになった。長さは約三〇センチで、くびれの部分からゆるやかなカーブを描いて太くなっている。打ち方は大宮区の横打ちに対して正面打ちに近く、あまり大きくバイを振り回すこともないためか、根元を包み込むような持ち方はしていないようだ。
―〈写真〉住吉区のヒノキのバイ―
この『放生祭』のバイをはじめ、山車の車輪、棒振りの棒などは、以前は地元の大工などがつくっていたが、現在はただ一人の木工が一手に引き受けているという。しかし、高齢のうえに後継者もないため、祭りの存続という点からも将来が心配されている。
辻辻での太鼓の打ち合いが見ものの『放生祭』(福井県小浜市)
若狭地方最大の秋祭りといわれる、小浜市八幡神社の例祭『放生祭(ほうぜまつり)』。江戸時代まで広嶺神社で行われていた祇園祭礼の演し物をとり入れた祭りには、神輿、山車(やま)、神楽、獅子舞、大太鼓が繰り出し、二日間にわたって辻辻を巡行する。唐風の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振りを先導役とする太鼓は三台。口径は三尺ほどで、編み笠と覆面で顔を覆った打ち手十人前後が、曳台に横置きに据えた太鼓を代わる代わる打ち囃す。
―〈写真〉3台の太鼓は別々のルートで市内を巡行する。―
ばちは「バイ」とよばれ、所有する五つの地区でそれぞれ素材と形状が異なる。たとえば大宮区ではホオノキを使い、全長は三二センチ。くびれの部分から先端までが放射線状に太くなっており、ふくらんだ根本を手のひらで包み込むようにして親指と人差し指でくびれの部分をしっかりつかむ。こうして持つことで大きく腕を回し、手首のスナップをきかせながら力強く打つことができる。
―〈写真〉大宮区のホオノキのバイ。グリップエンドのふくらんだ部分を手のひらで包んで打つ。―
一方、住吉区ではヒノキのバイを使う。同地区は江戸時代の祇園祭にも出ており、三百年以上の歴史をもつ。当時、太鼓は担いで巡行したことから胴は軽いキリ胴で、そのころにはバイもキリ製が使われていた。やがて太鼓がケヤキ胴になるとキリのバイでは鳴らなくなり、ヒノキのバイに変わり、今ではわずかだがホオノキのバイも使われるようになった。長さは約三〇センチで、くびれの部分からゆるやかなカーブを描いて太くなっている。打ち方は大宮区の横打ちに対して正面打ちに近く、あまり大きくバイを振り回すこともないためか、根元を包み込むような持ち方はしていないようだ。
―〈写真〉住吉区のヒノキのバイ―
この『放生祭』のバイをはじめ、山車の車輪、棒振りの棒などは、以前は地元の大工などがつくっていたが、現在はただ一人の木工が一手に引き受けているという。しかし、高齢のうえに後継者もないため、祭りの存続という点からも将来が心配されている。
たいころじい記事その1
放生祭の大太鼓は、和太鼓の愛好家や研究者などからも注目されているようである。
財団法人浅野太鼓文化研究所が発行している太鼓と人間の情報誌『たいころじい』に、放生祭についての記事が掲載されているので紹介しておこう。
なお、『たいころじい』の購入や問い合わせについては下記へ。
http://www.asano.jp/books/index.html
2005年12月発行の第28巻には、「太鼓の衆見聞録」という、おもに和太鼓のコンサートなどを紹介する記事の中でとりあげられている。
放生祭(ほうぜまつり)
9月17・18日
福井県小浜市
小浜市八幡神社の祭礼である放生祭は、若狭地方最大の秋祭りだ。およそ三百年の歴史があるといわれ、古くは殺生を戒め、捕らえた魚や鳥を山海に放す『放生会(ほうじょうえ)』の儀式に起因している。祭りは江戸時代に小浜城下の町人町の範囲にあった二十四区によって行われ、一年交代で十二区ずつが、山車(やま)、神輿、獅子舞、大太鼓、神楽の五種類の演(だ)し物を担当する。今年は、山車が四台、三匹獅子舞が二組、大太鼓が三台、神楽屋台三台、神輿一基が、二日間にわたって初秋の市街地を巡行した。
祭りはまず、一日目の午前九時、住吉区の大太鼓の宮入から始まる。これは明治維新までこれらの演し物が奉納されていた天王社(現在の広嶺神社)の祇園祭礼の練物行列において「傘鉾は第一番にこれを捧ぐ」(『若狭郡県志』より)と記されていることによるもので、演し物が祇園祭礼から放生祭に移って以後も、二十四区の中で唯一傘鉾を有する住吉区が今も最初に宮入することになっているという。続いて各地区の神楽や獅子舞などが順次宮入を済ませると、それぞれに巡行を開始する。といっても巡行のコースは地区ごとに独自に決めるため、十二の演し物がバラバラに市内を巡ることになる。南から神楽囃子が聞こえたかと思うと北から山車囃子、辻を曲がれば獅子舞という具合で、次は何に出会えるかと胸をわくわくさせながら町並みをそぞろ歩くのも心楽しい。中でも、もっとも見応え、聴き応えのあるのが大太鼓の一行だ。
口径三尺ほどの大太鼓を曳台に載せて、編笠と覆面で顔を隠した十人前後の打ち手が代わる代わるばちを振るう大太鼓は、放生祭の花形だ。ゆっくりしたテンポの『道引(みちびき)』、急テンポで力強い『攻め太鼓』、“踊り打ち”と称されるほどに躍動感のある『曲打ち』などが、鉦の囃子にのせてえんえんと打ち継がれる。威勢のよい中にもどこか雅さがただよう住吉区の太鼓、革が焼けるかと思うほどに激しく打ち込む大宮区の太鼓という具合に、地区によって曲調が異なるのも面白く、太鼓好きにはたまらない。
市内各所を個別に巡行した大太鼓は、一日目の夜に八幡神社前で、二日目の午後に市中のお旅所で、三台そろっての大共演を繰り広げる。どの地区も「我こそは」とばかりにばちさばきを披露しあう共演は、“喧嘩”ともよばれるごとくに熱を帯び、いつ果てるとも知れぬ打ち合いが、曳台を囲んだ観客の心をも熱く燃やす。これらの大太鼓は、唐風(からふう)の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振によって先導されるが、棒術を下敷きにした露払いの妙技もまた凛々しく趣深い。江戸時代、藩や藩士らの助力をうけて形が整えられ、時代とともに洗練されてきた放生祭の演し物は、今も若狭の人々の血をふつふつとたぎらせ、豊穣の秋へと導いていくのだ。(小野)
財団法人浅野太鼓文化研究所が発行している太鼓と人間の情報誌『たいころじい』に、放生祭についての記事が掲載されているので紹介しておこう。
なお、『たいころじい』の購入や問い合わせについては下記へ。
http://www.asano.jp/books/index.html
2005年12月発行の第28巻には、「太鼓の衆見聞録」という、おもに和太鼓のコンサートなどを紹介する記事の中でとりあげられている。
放生祭(ほうぜまつり)
9月17・18日
福井県小浜市
小浜市八幡神社の祭礼である放生祭は、若狭地方最大の秋祭りだ。およそ三百年の歴史があるといわれ、古くは殺生を戒め、捕らえた魚や鳥を山海に放す『放生会(ほうじょうえ)』の儀式に起因している。祭りは江戸時代に小浜城下の町人町の範囲にあった二十四区によって行われ、一年交代で十二区ずつが、山車(やま)、神輿、獅子舞、大太鼓、神楽の五種類の演(だ)し物を担当する。今年は、山車が四台、三匹獅子舞が二組、大太鼓が三台、神楽屋台三台、神輿一基が、二日間にわたって初秋の市街地を巡行した。
祭りはまず、一日目の午前九時、住吉区の大太鼓の宮入から始まる。これは明治維新までこれらの演し物が奉納されていた天王社(現在の広嶺神社)の祇園祭礼の練物行列において「傘鉾は第一番にこれを捧ぐ」(『若狭郡県志』より)と記されていることによるもので、演し物が祇園祭礼から放生祭に移って以後も、二十四区の中で唯一傘鉾を有する住吉区が今も最初に宮入することになっているという。続いて各地区の神楽や獅子舞などが順次宮入を済ませると、それぞれに巡行を開始する。といっても巡行のコースは地区ごとに独自に決めるため、十二の演し物がバラバラに市内を巡ることになる。南から神楽囃子が聞こえたかと思うと北から山車囃子、辻を曲がれば獅子舞という具合で、次は何に出会えるかと胸をわくわくさせながら町並みをそぞろ歩くのも心楽しい。中でも、もっとも見応え、聴き応えのあるのが大太鼓の一行だ。
口径三尺ほどの大太鼓を曳台に載せて、編笠と覆面で顔を隠した十人前後の打ち手が代わる代わるばちを振るう大太鼓は、放生祭の花形だ。ゆっくりしたテンポの『道引(みちびき)』、急テンポで力強い『攻め太鼓』、“踊り打ち”と称されるほどに躍動感のある『曲打ち』などが、鉦の囃子にのせてえんえんと打ち継がれる。威勢のよい中にもどこか雅さがただよう住吉区の太鼓、革が焼けるかと思うほどに激しく打ち込む大宮区の太鼓という具合に、地区によって曲調が異なるのも面白く、太鼓好きにはたまらない。
市内各所を個別に巡行した大太鼓は、一日目の夜に八幡神社前で、二日目の午後に市中のお旅所で、三台そろっての大共演を繰り広げる。どの地区も「我こそは」とばかりにばちさばきを披露しあう共演は、“喧嘩”ともよばれるごとくに熱を帯び、いつ果てるとも知れぬ打ち合いが、曳台を囲んだ観客の心をも熱く燃やす。これらの大太鼓は、唐風(からふう)の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振によって先導されるが、棒術を下敷きにした露払いの妙技もまた凛々しく趣深い。江戸時代、藩や藩士らの助力をうけて形が整えられ、時代とともに洗練されてきた放生祭の演し物は、今も若狭の人々の血をふつふつとたぎらせ、豊穣の秋へと導いていくのだ。(小野)
放生祭は福井県指定無形民俗文化財
福井県教育委員会編集・発行(2005年3月)の『文化財調査報告』第36集には、次のように記されている。
小浜放生祭
福井県文化財保護審議会委員 入江宣子
県指定番号 福井県指定第338号
指定年月日 平成14年4月23日
指定種別 無形民俗文化財
名称・数量 小浜放生祭
所在地 小浜市
保存団体 放生祭祭礼委員会
調査年月日 平成12年9月12日〜14日
平成13年9月13日〜15日
調査者 天野武、入江宣子、金田久璋
放生祭は、毎年9月敬老の日直前の土・日曜日に行われる小浜市の中心市街地に鎮座する小浜八幡(男山八幡)の祭礼である。旧小浜24地区が隔年で12区ずつ、山車(囃子)、神楽(太鼓)、棒振り太鼓、獅子(三匹獅子舞)の四種類の芸能を奉納、地域あげての氏子組織が多彩な芸能を伴う祭礼行事を熱心に支えている。地区名と奉納芸能を記すと、西暦奇数年には、清滝・今宮・竜田・飛鳥が山車を、津島・神田・白鳥が神楽を、住吉・広峰・大宮が大太鼓を、玉前・日吉が獅子を出す。偶数年には生玉・酒井・塩竃・貴船・浅間が山車を、鹿島が神楽を、鈴鹿・大原が大太鼓を、男山・多賀が獅子を、香取が神輿を出す(白鬚は休止中)。祭りの内容は、江戸時代、小浜藩主酒井家の庇護を得て盛んだった広嶺神社の祇園祭を明治以後引き継いだもので、江戸時代の古文書や広嶺神社祭礼絵巻(小浜市指定文化財)によってその歴史的変遷をたどることができる。
小浜城に近い広嶺神社(小浜市千種)の祇園祭は、中世京都の祇園祭の影響を受け江戸時代以前からおこなわれていたと思われる。江戸時代には、三基の神輿が府中村、上竹原村を経て小浜八幡宮のお旅所へ向かう時に、棒振り太鼓・神楽・酒井氏とともに武州川越から移ってきた三匹獅子舞が供奉した。七日後、神輿が広嶺神社に還御する際には、小浜の町民たちはその豊かな経済力を背景に、華やかな練物(カラフルに飾り立てた仮装や作り物、賑やかな囃子を伴う芸能など)や山車を曳き、長大な行列をしたてて従った。明治維新後、氏子の地域割りが変わり、小浜町民は小浜八幡の例祭放生会に参加することになり、初期の混乱はあったものの、明治中期頃からは徐々に賑わいを取り戻し、各町内の出し物も次第に現在見られる4種類に固定化し現在に至っている。
現在若狭地域に数多く分布する棒振り太鼓や神楽、山車の囃子には、小浜から習ったと伝えているところも多く、周辺の祭礼芸能にも強い影響力を持っている。
小浜放生祭
福井県文化財保護審議会委員 入江宣子
県指定番号 福井県指定第338号
指定年月日 平成14年4月23日
指定種別 無形民俗文化財
名称・数量 小浜放生祭
所在地 小浜市
保存団体 放生祭祭礼委員会
調査年月日 平成12年9月12日〜14日
平成13年9月13日〜15日
調査者 天野武、入江宣子、金田久璋
放生祭は、毎年9月敬老の日直前の土・日曜日に行われる小浜市の中心市街地に鎮座する小浜八幡(男山八幡)の祭礼である。旧小浜24地区が隔年で12区ずつ、山車(囃子)、神楽(太鼓)、棒振り太鼓、獅子(三匹獅子舞)の四種類の芸能を奉納、地域あげての氏子組織が多彩な芸能を伴う祭礼行事を熱心に支えている。地区名と奉納芸能を記すと、西暦奇数年には、清滝・今宮・竜田・飛鳥が山車を、津島・神田・白鳥が神楽を、住吉・広峰・大宮が大太鼓を、玉前・日吉が獅子を出す。偶数年には生玉・酒井・塩竃・貴船・浅間が山車を、鹿島が神楽を、鈴鹿・大原が大太鼓を、男山・多賀が獅子を、香取が神輿を出す(白鬚は休止中)。祭りの内容は、江戸時代、小浜藩主酒井家の庇護を得て盛んだった広嶺神社の祇園祭を明治以後引き継いだもので、江戸時代の古文書や広嶺神社祭礼絵巻(小浜市指定文化財)によってその歴史的変遷をたどることができる。
小浜城に近い広嶺神社(小浜市千種)の祇園祭は、中世京都の祇園祭の影響を受け江戸時代以前からおこなわれていたと思われる。江戸時代には、三基の神輿が府中村、上竹原村を経て小浜八幡宮のお旅所へ向かう時に、棒振り太鼓・神楽・酒井氏とともに武州川越から移ってきた三匹獅子舞が供奉した。七日後、神輿が広嶺神社に還御する際には、小浜の町民たちはその豊かな経済力を背景に、華やかな練物(カラフルに飾り立てた仮装や作り物、賑やかな囃子を伴う芸能など)や山車を曳き、長大な行列をしたてて従った。明治維新後、氏子の地域割りが変わり、小浜町民は小浜八幡の例祭放生会に参加することになり、初期の混乱はあったものの、明治中期頃からは徐々に賑わいを取り戻し、各町内の出し物も次第に現在見られる4種類に固定化し現在に至っている。
現在若狭地域に数多く分布する棒振り太鼓や神楽、山車の囃子には、小浜から習ったと伝えているところも多く、周辺の祭礼芸能にも強い影響力を持っている。
放生祭に関する参考文献
柴田伊左衛門「八幡神社祭礼出しものの変遷」(『小浜市史紀要』第3輯 1972年)
小浜市郷土研究会編『小浜の祇園祭り』(後瀬書房 1981年)
伊藤一樹編『小浜八幡神社祭礼 放生会』(後瀬書房 1983年)
木村確太郎『小浜八幡神社放生会縁起物語』(木村確太郎 1983年)
入江宣子「若狭の民俗芸能と祭」(『まつり』第49号 まつり同好会 1988年)
入江宣子「若狭の祭礼囃子の系譜 ―小浜の放生会を中心に―」(植木行宣・樋口昭編『民俗文化分布圏論』 名著出版 1993年)
福井県立若狭歴史民俗資料館編『おまつり おはやし おどり ―若狭の祭礼・山車・風流―』(福井県立若狭歴史民俗資料館 1998年)
垣東敏博「〈資料紹介〉明治末・大正・昭和戦前期 小浜八幡神社祭礼に関する通知 ―酒井区所蔵『小浜町役場通告書類綴』より―」(『館報』平成15年度 福井県立若狭歴史民俗資料館 2004年)
垣東敏博「観光と地方小都市の祭礼 ―高浜七年祭と小浜放生祭を例に―」(『北陸の民俗』第21集 富山民俗の会・福井民俗の会・加能民俗の会 2004年)
垣東敏博「若狭小浜の祭礼と山車の変遷 ―練物・人形山・囃子屋台―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)
入江宣子「若狭の祭礼囃子の系譜(続) ―小浜放生祭と高浜七年祭―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)
垣東敏博「江戸期の小浜祇園祭礼に関する史料と年表」(『館報』平成17年度 福井県立若狭歴史民俗資料館 2006年)
放生祭冊子委員会編『笛連ればいきいきわくわく小浜まち 放生祭』(まち=小浜・いきまち再生委員会 2007年)
小浜市郷土研究会編『小浜の祇園祭り』(後瀬書房 1981年)
伊藤一樹編『小浜八幡神社祭礼 放生会』(後瀬書房 1983年)
木村確太郎『小浜八幡神社放生会縁起物語』(木村確太郎 1983年)
入江宣子「若狭の民俗芸能と祭」(『まつり』第49号 まつり同好会 1988年)
入江宣子「若狭の祭礼囃子の系譜 ―小浜の放生会を中心に―」(植木行宣・樋口昭編『民俗文化分布圏論』 名著出版 1993年)
福井県立若狭歴史民俗資料館編『おまつり おはやし おどり ―若狭の祭礼・山車・風流―』(福井県立若狭歴史民俗資料館 1998年)
垣東敏博「〈資料紹介〉明治末・大正・昭和戦前期 小浜八幡神社祭礼に関する通知 ―酒井区所蔵『小浜町役場通告書類綴』より―」(『館報』平成15年度 福井県立若狭歴史民俗資料館 2004年)
垣東敏博「観光と地方小都市の祭礼 ―高浜七年祭と小浜放生祭を例に―」(『北陸の民俗』第21集 富山民俗の会・福井民俗の会・加能民俗の会 2004年)
垣東敏博「若狭小浜の祭礼と山車の変遷 ―練物・人形山・囃子屋台―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)
入江宣子「若狭の祭礼囃子の系譜(続) ―小浜放生祭と高浜七年祭―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)
垣東敏博「江戸期の小浜祇園祭礼に関する史料と年表」(『館報』平成17年度 福井県立若狭歴史民俗資料館 2006年)
放生祭冊子委員会編『笛連ればいきいきわくわく小浜まち 放生祭』(まち=小浜・いきまち再生委員会 2007年)
放生祭関連ホームページ
若狭小浜放生祭
http://www.tamuracho.co.jp/matsuri/index.html
オフィシャルサイト的性格をもつホームページ。
祭りに関する基本的な情報がわかり、ビジュアル的にも優れている。
若狭小浜の放生会祭り
http://www.x7net.com/~tetsuya/wakasa.htm
奈良姉妹都市研究会による、放生祭を紹介したページ。奈良姉妹都市研究会と称しながらも、個人によるサイトのようだが、写真が豊富で動画配信もあり、充実している。
若狭小浜放生会
http://www.hokuriku.ne.jp/genpaku/
こちらも個人のサイト。祭日の変更(9月14日15日から敬老の日直前の土日へ)以前から存在しているホームページ。力作である。
小浜の秋祭り「放生祭」
http://www.farm-hashimoto.com/houzematsuri/index.htm
コシヒカリの産直・お米の橋本ファームというサイトの一部
2004年の祭りの様子が写真で紹介されている。
知っとこおばま:おばまの名所・みどころ:放生祭
http://www.wakasa-obama.jp/shiru/meisho/houze.html
ええやん!若狭の國 若狭おばま観光協会公式サイト中のページ
1ページだけの記事だが、若狭路博2003の時の写真(福井新聞社提供)を掲載している。
若狭・おばま活性化イベント/秋の陣/放生祭
http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_kankou/autumn/index.html
小浜市公式ホームページ中の1ページ。
いつのまにか「活性化イベント」の一環にされてしまっているが、放生祭は長い歴史をもつ伝統的な祭礼で、いわゆるイベントではない。誤解なきよう。
このページに、「写真をクリックすると拡大写真が見れます」として掲載されている写真は、なかなか迫力のあるよい写真である。
放生祭2004(写真)
http://homepage.mac.com/yasso/20040918Houze.html
「やっそ」という人のホームページ。「放生祭2003演物」「放生祭2003舞台裏」「放生祭2005」の写真もある。
若狭の夏を囃す 小浜放生祭
http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=43
地域文化資産ポータル◇地域の伝統技術等に関わる映像を公開するポータルサイト中の1コンテンツとして、平成13年の放生祭を撮影・編集したビデオ「若狭の夏を囃す 小浜放生祭」(小浜市企画・毎日映画社製作)の動画を配信している。ダイジェスト版(3分)と本編(43分)が、このページから視聴できる。
http://www.tamuracho.co.jp/matsuri/index.html
オフィシャルサイト的性格をもつホームページ。
祭りに関する基本的な情報がわかり、ビジュアル的にも優れている。
若狭小浜の放生会祭り
http://www.x7net.com/~tetsuya/wakasa.htm
奈良姉妹都市研究会による、放生祭を紹介したページ。奈良姉妹都市研究会と称しながらも、個人によるサイトのようだが、写真が豊富で動画配信もあり、充実している。
若狭小浜放生会
http://www.hokuriku.ne.jp/genpaku/
こちらも個人のサイト。祭日の変更(9月14日15日から敬老の日直前の土日へ)以前から存在しているホームページ。力作である。
小浜の秋祭り「放生祭」
http://www.farm-hashimoto.com/houzematsuri/index.htm
コシヒカリの産直・お米の橋本ファームというサイトの一部
2004年の祭りの様子が写真で紹介されている。
知っとこおばま:おばまの名所・みどころ:放生祭
http://www.wakasa-obama.jp/shiru/meisho/houze.html
ええやん!若狭の國 若狭おばま観光協会公式サイト中のページ
1ページだけの記事だが、若狭路博2003の時の写真(福井新聞社提供)を掲載している。
若狭・おばま活性化イベント/秋の陣/放生祭
http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_kankou/autumn/index.html
小浜市公式ホームページ中の1ページ。
いつのまにか「活性化イベント」の一環にされてしまっているが、放生祭は長い歴史をもつ伝統的な祭礼で、いわゆるイベントではない。誤解なきよう。
このページに、「写真をクリックすると拡大写真が見れます」として掲載されている写真は、なかなか迫力のあるよい写真である。
放生祭2004(写真)
http://homepage.mac.com/yasso/20040918Houze.html
「やっそ」という人のホームページ。「放生祭2003演物」「放生祭2003舞台裏」「放生祭2005」の写真もある。
若狭の夏を囃す 小浜放生祭
http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=43
地域文化資産ポータル◇地域の伝統技術等に関わる映像を公開するポータルサイト中の1コンテンツとして、平成13年の放生祭を撮影・編集したビデオ「若狭の夏を囃す 小浜放生祭」(小浜市企画・毎日映画社製作)の動画を配信している。ダイジェスト版(3分)と本編(43分)が、このページから視聴できる。






