放生祭応援ブログ

若狭小浜の放生祭(ほうぜまつり)について、広く深く紹介するブログです。

『祭りのしつらい』岩間香・西岡陽子編

『祭りのしつらい 町家とまち並み』(岩間香・西岡陽子編、京極寛写真、思文閣出版、平成20年2月10日発行、2,200円=税別=)に、放生祭がとりあげられている。本書は「祭礼住文化研究会」を結成した建築史・絵画史・民俗学など専門が異なる研究者が、それぞれの視点で町家と町並みにおける祭りのしつらいについて考察したもの。京都祇園祭の屏風祭をはじめ、大津祭、城端曳山祭など全国各地の伝統的な都市祭礼と、その舞台となっている古い町並みや町家の飾りつけ、造り物などがとりあげられている。全224頁のうちカラーグラビアが60頁を超え、モノクロ頁にも写真が豊富である。基本的な性格は研究書であるが、伝統的な祭りと町並みをたずねる際のガイドとしても利用できそう。2,200円という価格設定は、驚嘆に価するほど良心的である。
 放生祭については、カラーグラビア頁で、「神の宿 小浜放生会」として次のように紹介されている。「若狭路最大の秋祭り、小浜放生会の神の宿は本陣と呼ばれ、町内二四区に設けられる。本陣の表構えには、幔幕と提灯、松の木が飾りつけられる。本陣のお飾りは、御酒や米、掛け軸の他、獅子頭、天狗の面、金鶏など、各町によって様々である。本陣の前では、大太鼓五区、山車九区、獅子舞四区、神楽五区、神輿一区の合計二四区が交互に隔年で一二区ずつ出陣して、伝統の神事芸能(練り物)を演舞奉納する。」そして、小浜放生会の本陣(住吉区)、本陣前での獅子舞(多賀区)の奉納、小浜放生会の曳山(塩竃区)巡行、本陣のお飾り(天狗の面)、の4枚の写真と、住吉区の本陣の図が掲載されている。
 カラーグラビア頁にはほかに、「小浜祇園祭礼絵巻」(広嶺神社蔵)の一部も掲載されている。
 モノクロ頁では、「祭礼百選」のうちに「小浜の放生祭」として、酒井区の山車の写真とともに次のように紹介されている。「小浜の放生祭/福井県小浜市/敬老の日直前の土・日/若狭路最大の秋祭り。毎年9月14・15日に行われていたが、平成16年以降、敬老の日の前になった。町内の24区が、12区ずつ隔年で出し物を出す。獅子舞、大太鼓、山車など多彩な出し物が、小浜の旧市街地の中を練り歩く。各町では、本陣と呼ばれる会所飾りが行われる。格子戸の町家が残る若狭の小京都と呼ばれる町並みを巡りながら、各町の本陣飾りをぜひ訪ねてもらいたい。本陣の前には松の木が、座敷には屏風とともに獅子頭などが飾られ、その前で出し物が披露される。」

今宮区70年ぶりに「明月」復活(福井新聞より)

 2007年9月12日付『福井新聞』23面(地域面)の記事によると、今宮区の山車の囃子曲のうち、70年以上前に途絶えていた「明月」を復活したという。今年の放生祭の情報も含まれているので、紙面全文を引用しておこう。

本げいこ息ぴたり/青年衆ら成果披露/小浜 放生祭まであと3日/今宮区の囃子 70年ぶりの曲復活
 小浜市の旧市街地を舞台に十五、十六の両日行われる若狭地方最大の秋祭り「放生祭(ほうぜまつり)」を目前に控え、各区で準備が進んでいる。山車(やま)を繰り出す今宮区では十日夜、子供と青年衆が笛や太鼓の出来を住民に見てもらう本げいこが始まり、約七十年ぶりに復活した演目も披露された。
 放生祭は同市男山の八幡神社の秋祭りで、三百年以上の歴史を持つ県指定無形民俗文化財。旧市街地二十四区のうち、半数が隔年で山車(やま)、獅子、神楽(かぐら)、大太鼓、神輿(みこし)を出し、まちを巡行する。
 山車は九区にあり、それぞれ見送り幕や横幕、金具などの豪華な装飾品を誇る。最大のものは高さ約五メートルあり、中には百四十年前に造られた山車もある。今年は今宮、清滝、竜田、飛鳥の四区が繰り出す。
 今宮区の本げいこ初日は、区内の料亭で行われた。五歳から中学二年までの子供たちが、山車の一階舞台で演奏する囃子(はやし)の小太鼓を披露。青年衆が笛や大太鼓、山車の移動中に胴内で奏でる「道引(みちびき)」を演じた。各自練習を積んだ後、二週間以上前から全体練習を続けているとあって、演奏は完ぺきに近い仕上がり。集まった大勢の住民から大きな拍手が送られていた。
 同区の道引は、神社へ奉納する際の目玉曲「神子の舞」など十一演目。中でも今年は、七十年以上前に途絶えていた「明月(めいげつ)」を復活させた。同区青年会が一九三三年に書かれた譜面を基に、清滝区の曲を参考にして独自にアレンジ。今年二月から練習を積んできた。スローテンポな上に八分間と最長の演目であるため、小太鼓二人の息を合わせるのが難しいという。
 同青年会の寺川昌宏会長(三八)は「みんなで苦労してよみがえらせた明月を、じっくり聞いてほしい」と意気込んでいる。本げいこは十三日夜まで続ける。
 放生祭は両日とも、各区が順次、八幡神社に宮入りしたり市街地を巡回する。十五日午後六時半から、同神社でおはやし会を開催。十六日午後一時から、つばき回廊前に出し物が勢ぞろいする。

日本の祭り文化事典

 星野紘・芳賀日出男監修、社団法人全日本郷土芸能協会編集、東京書籍株式会社発行の『日本の祭り文化事典』(平成18年7月13日 第1刷発行)に収録されている放生祭の記事を紹介しておく。

小浜放生祭 おばまほうぜまつり
 県指定
 小浜市小浜男山(おばまおとこやま)・八幡(はちまん)神社
 九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日

 小浜放生祭は、県の南西部、小浜市小浜男山に鎮座する八幡神社の例祭で、九月一四・一五日に行われてきたが、現在は九月第三月曜日(敬老の日)直前の土・日曜日に行われている。この両日、大太鼓(棒振(ぼうふり)大太鼓)・獅子(しし)(三匹獅子舞)・神楽(かぐら)(神楽太鼓)・山車(やま)・神輿(みこし)といった多彩な出し物が氏子(うじこ)範囲である小浜の旧市街地をめぐる。笛や太鼓の音があちこちから聞こえ、町は祭り一色に彩られる。出し物は、もともと江戸時代に城下町全体の祭礼として行われていた天王(てんのう)社(現広嶺(ひろみね)神社)の祇園(ぎおん)祭礼に出ていたものであるが、明治維新による氏子の区域割の改編などによって、八幡神社の例祭に出ることとなり現在に至っている。
 棒振大太鼓は、大太鼓と鉦(かね)による大音響の囃子(はやし)に合わせて、二人または三人一組の棒振がアクロバティックな動きや素早い立ち回りによる迫力のある演技を披露する。三匹獅子舞は、老若二匹の雄獅子(おじし)と一匹の雌(め)獅子が、笛と歌に合わせて、腹に付けた太鼓を打ちながら舞う。神楽太鼓は、獅子頭(ししがしら)の載った太(だい)神楽風の屋台(やたい)に取り付けた大小の太鼓と笛による囃子を聞かせる。山車は舞台型の一台をのぞく八台はすべて二層屋根付き四輪の曳山(ひきやま)である。豪華な見送幕や塗り・金具・彫刻などで飾られているが、その最大の見どころ(聞きどころ)は、二十数曲にもおよぶバラエティーに富んだ美しい音色の囃子である。各出し物は、それぞれ独自に巡行コースを決め、二日間にわたり町中を練り動いて芸や囃子を披露するが、一四日の夜などには、同種の出し物が集結しての競演も行われる。
 参考文献 福井県立若狭歴史民俗資料館編『おまつり おはやし おどり―若狭の祭礼・山車・風流―』(平10、同資料館)。 指定 平成一四・四・二三県指定。 保護 小浜放生祭祭礼委員会。 問い合せ先 若狭おばま観光協会。 交通 JR小浜線小浜駅下車。北陸自動車道敦賀(つるが)IC、舞鶴若狭自動車道小浜西IC、国道二七号線。

『山・鉾・屋台の祭り ―風流の開花―』

山・鉾・屋台の祭り(いわゆる山車祭り)の研究者にとってのバイブルと言われている、植木行宣著『山・鉾・屋台の祭り ―風流の開花―』(白水社 2001年11月刊)の第二編「山・鉾・屋台の伝承」第三章「山と屋台の祭り」の中で、放生祭が紹介されている。

七 小浜八幡神社の放生会
 福井県小浜市男山に鎮座する八幡神社では、毎年九月十四、五日に行われ、山車(やま)や大太鼓、獅子などの出し物が小浜の旧市街を巡り、町は祭り一色となる。
 出し物は氏子二四区(町内)の分担で、次のように一二区ずつ隔年交替で出すことになっている。

      (西暦奇数年)       (同偶数年)
  大太鼓 住吉、広峯、大宮区     鈴鹿、大原区
  神楽  津島、神田、白鳥区     白鬚、鹿島区
  獅子  玉前、日吉区        多賀、男山区
  山車  清滝、今宮、竜田、飛鳥区  生玉、塩竃、酒井、貴船、浅間区

 大太鼓は鉦と鋲打ちの太鼓の囃子で唐子風の衣裳を着た青年が二人一組、あるいは三人一組で棒の芸を見せる棒振である、大太鼓の曲打ちも加わる。風流系の露払いの棒振から展開したものと考えられるもので、「棒振太鼓」ともよばれている。
 神楽は伊勢太神楽の荷長持に似た神楽屋台に大小の太鼓を載せ、徒歩の笛とで奏する囃子である。屋台に獅子頭が乗るが、獅子舞はともなわない。現在は、前屋台という小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ据えた小形の屋台が附属していて、神前や各区の本陣、あるいは花を貰った家などで演奏する際は、この前屋台に青年や子供の太鼓打ちが乗り桴さばきを披露する。
 獅子はいわゆる三匹獅子舞で、老若二頭の雄獅子と雌獅子が腰鼓を打ちつつ笛と歌に合わせて踊る。寛永十一年(一六三四)に国替えで小浜に移った酒井忠勝が武蔵川越から伝えたものである。
 山車はいま九台ある。飛鳥区のそれだけが芸屋台で、その他はすべて囃子屋台となっている。芸屋台は単層吹抜屋形四輪式で、前部の舞台で子供の手踊りなどを演じる。それに対し、囃子屋台は二層吹抜屋形四輪式の曳山の形態で、一層前部に「出囃子」という張り出しの小舞台が付く。その小舞台に小太鼓(締め太鼓)二丁を並べ、太鼓打ちが出て出囃子を見せるところに特色がある。その後方の御簾の中が太鼓方、二層が笛方の座で大勢が乗り込んで囃す。囃子には道行囃子と奉納囃子があり、神社や本陣、花を貰った家などに山車を停めて奉納囃子を演奏する。出囃子の出番はこの奉納囃子であり、道行囃子には大太鼓が打たれる。

 これらの出し物の本来の舞台は天王社(現・広嶺神社)の祇園会であった。それが明治維新の結果、明治四年(一八七一)に祇園会から離れ八幡神社の放生会に移行し、現在に至ったものである。
 江戸時代の祇園会は神輿の神幸、還御にさまざまな出し物が随う華やかな練物の祭りであった。現在の出し物はそれに系譜するものだが、山車の形態も一様ではなく、人形山のほか囃子屋台、踊り屋台などがあった。その様相の一端は広嶺神社所蔵の「小浜祇園祭礼絵巻」(口絵写真参照)に描き留められており、行列の記録も多くはないが残されている。詳細は垣東敏博氏の論考に任せたいが※、江戸初期延宝七年(一六七九)における祇園会練物を一覧しておく(『拾椎雑話』)。なお、←○○は寛文十一年(一六七一)の出し物、→は他町と組、×は未出、無印は継続、である。

  1 笠鉾   上小路・裏町
  2 花筏   安良町×
  3 花車   新突抜←汐汲
  4 両替   突抜町・下市場
  5 呉服売  永三小路→
  6 布袋山  質屋町←布袋
  7 鉄砲持  塩屋町←鉄砲
  8 弓持   魚屋町
  9 長刀山  大津町←長刀
  10 富樫   川縁町
  11 進上山  富沢町←(瀬木町)
  12 餌差   広小路・東宮前
  13 鷹匠   今町←鷹師(永三小路)
  14 長刀持  上市場←長刀
  15 巻狩山  塩浜小路・大蔵小路←聖
  16 洲浜   中西町←順礼
  17 参宮   西五町(山岸・甲呂木・浜浦・清水・文珠)←西七町
  18 餅搗山  材木町・今在家←餅搗
  19 夷大黒  西宮前・八幡小路
  20 鯛釣   片原町
  21 大黒山  瀬木町→・新町
  22 能因法師 今道町
  23 愛宕参  八百屋町
  24 木賊山  須崎町・川崎町←木賊
  25 花園   風呂小路←虚無僧
  26 小刀売  缺脇町
  27 鎧武者  瀧町・石垣町
  28 孟宗山  松寺小路←孟宗
  29 田植   二鳥居
  30 鵜遣   石屋小路・達磨小路・薬師小路

 全三〇番のうち、山は八台、その他はすべて仮装行列等の通り物であり、通り物は他所の練物の趣向と相通じるものが多い。この練物のあり方は江戸後期まで変わらず、文化末ころの「若耶一國亀鑑」によれば、全四四カ町四二番の出し物のうち、山は九台に止まっている。ただし、布袋・大黒山以外は別の山になっている。その山がすべて囃子屋台に変化しているわけだが、往時の人形等を本陣飾りとして伝える区もある。今宮区の行者人形(行者山)と尉と姥の面(高砂山)、玉前区の大黒人形(大黒山)、生玉区の蛭子人形(蛭子山)、酒井区の布袋面(布袋山)がそれである。

※垣東敏博「若狭小浜の祭礼と山車の変遷 ―練物・人形山・囃子屋台―」(植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 岩田書院 2005年)。

たいころじい記事その2

 2007年1月発行の第30巻には、「特集 ばちコレクション」の一例として、放生祭の大太鼓が紹介されている。

辻辻での太鼓の打ち合いが見ものの『放生祭』(福井県小浜市)

 若狭地方最大の秋祭りといわれる、小浜市八幡神社の例祭『放生祭(ほうぜまつり)』。江戸時代まで広嶺神社で行われていた祇園祭礼の演し物をとり入れた祭りには、神輿、山車(やま)、神楽、獅子舞、大太鼓が繰り出し、二日間にわたって辻辻を巡行する。唐風の衣裳に六尺棒をたずさえた棒振りを先導役とする太鼓は三台。口径は三尺ほどで、編み笠と覆面で顔を覆った打ち手十人前後が、曳台に横置きに据えた太鼓を代わる代わる打ち囃す。
  ―〈写真〉3台の太鼓は別々のルートで市内を巡行する。―
 ばちは「バイ」とよばれ、所有する五つの地区でそれぞれ素材と形状が異なる。たとえば大宮区ではホオノキを使い、全長は三二センチ。くびれの部分から先端までが放射線状に太くなっており、ふくらんだ根本を手のひらで包み込むようにして親指と人差し指でくびれの部分をしっかりつかむ。こうして持つことで大きく腕を回し、手首のスナップをきかせながら力強く打つことができる。
  ―〈写真〉大宮区のホオノキのバイ。グリップエンドのふくらんだ部分を手のひらで包んで打つ。―
 一方、住吉区ではヒノキのバイを使う。同地区は江戸時代の祇園祭にも出ており、三百年以上の歴史をもつ。当時、太鼓は担いで巡行したことから胴は軽いキリ胴で、そのころにはバイもキリ製が使われていた。やがて太鼓がケヤキ胴になるとキリのバイでは鳴らなくなり、ヒノキのバイに変わり、今ではわずかだがホオノキのバイも使われるようになった。長さは約三〇センチで、くびれの部分からゆるやかなカーブを描いて太くなっている。打ち方は大宮区の横打ちに対して正面打ちに近く、あまり大きくバイを振り回すこともないためか、根元を包み込むような持ち方はしていないようだ。
  ―〈写真〉住吉区のヒノキのバイ―
 この『放生祭』のバイをはじめ、山車の車輪、棒振りの棒などは、以前は地元の大工などがつくっていたが、現在はただ一人の木工が一手に引き受けているという。しかし、高齢のうえに後継者もないため、祭りの存続という点からも将来が心配されている。